二番隊。砕蜂二番隊長就任のころ。書きたい。



 あの人の血はきっと冷たいのだとあれはたしか十席のひとりだったか顔に引きつった笑みを浮かべて吐き捨てるようにいったのだった。
『冷酷』『非情』『血も涙もない』。新しい二番隊長に対するそのような評価を耳にするたびに二番隊副隊長である大前田はため息をつきたくなる。


「――総司令官だか軍団長だか知らねえが、『裏』のやり方を護廷に持ちこむなってんだよ」
 詰所の角を曲がろうとしたときだった数人の部下が集まり低い声で話しているのが聞こえた。うち何人かは見覚えがあった顔と名前が一致する上位席官だった。


「裏廷隊あがりに指図されるなんてな。ちくしょう、なんのために死にもの狂いで護廷に入ってここまで出世したのかわかんねぇよ」
「刑軍なんてのは一生、表舞台に出てこねえもんだろ。どうしてよりにもよってうちの隊首になるんだ」
「どれだけ人材足りてねえんだよ、護廷は」
「聞いた話じゃ刑軍生え抜きで斬魄刀は持ってるものの魂葬の経験は、一、二回あるかないかっつう程度らしいぜ」
「死神じゃねえだろ、そんなの。本当になんだっていきなり……」


 就任前から流れていたのは護廷十三隊と刑軍及び隠密機動の結びつきを強化し彼らが独自の行動をとらぬようにするため、虚に対する斥候と尖兵を任務のひとつとする隠密機動は第一分隊・刑軍水準ともなれば屈指の戦闘集団でありその力は実戦に特化した分ときに席官たちをも上回るゆえ『中央』がおそれ手足を縛ろうとしたのだという説。そしてもうひとつの任である法にそむいた同胞の暗殺と処刑において『中央』――中央四十六室のうしろ暗い機密枢機秘事に関わる者たちを護廷により判りやすいかたちで組織上組みこんでしまうことにより一蓮托生にしようと画策したという説。


 どちらのわけにしろ、せんに出奔した――『あの方』だ、大前田は刑軍に友人がいるから自然と彼らと同じ呼称になる彼らはもう二度と彼女を名前でも様づけでも『軍団長』とも呼ばないし呼べないのだというその彼女、四楓院夜一が罪を犯し永久追放されたことと無関係ではないのだろう。


 流布する理由が正しいのか間違っているのか建前なのか本音がまじっているのか大前田はあまり興味がないそんなことよりも副隊長として副官として目の前の業務を片づけるのが先だ。
 しかし上がくだした判断がどういった理由からであれ行ったことはひとりの少女に二重の責務を背負わせただけだと不敬にも思う、その程度にはあの新しい隊長に自分は肩入れしているのだろうか。


「なぁ、見ただろ? 隊長さんの顔」
 くつくつと卑屈な忍び笑い。
「お人形さんだよなぁ、あれ。どうだよ」
莫迦、俺にそっちの趣味はねえよ」
「どうせ――で、……あたりを」
「銜えこんだんだろ……上のお口だか……、の、口だか……」
「ああ。『中央』の××××役人どもなんて、みんな……」
「隠密機動秘伝の寝技でもあるんじゃねえの?」
「いいよなぁ。いっぺんでいいからお相手してもらいたいぜ」
「身体でとってきた隊長職だろ? お世話になる部下の俺らに身体でお返ししたってバチはあたんねえよな」
 下卑た笑いが起こる。


「おい」
 さすがに咎めた悪意を持って性的な話をするのには反射的に嫌悪感を抱く、いや悪意だけならばまだよかった彼らが持っているのはあきらかな敵意だ。本来味方であり命をあずけるはずの隊首に向かって敵愾心をかくそうともしない隊員がここにいる数人だけでないのを自分は知っているそして知ってはいてもどうにもできない。


 いらだちを部下にぶつけることだけはすまいと自戒するだからこのときも冷静にといっては聞こえはいいが一喝することも叱咤叱責することなくせめて詰所のなかでの陰口はよせどこで誰が聴いているかわからないとおざなりで真意のない注意をしただけだった腹の奥底に何かがたまっていくうずまく焦燥感にこぶしを握りしめる。どうしようもない。


砕蜂』というめずらしい名前が本名ではなく号なのだとそれも彼女の祖母から受け継いだ名なのだというのは本人から聞いたのではなく刑軍にいる霊術院時代からの友人から教えられたのだった。友人は砕蜂の直属の部下副官という立場になる大前田をずいぶんとうらやましがっていた。そしてこうもいった。
砕蜂――軍団長というのは我々の象徴でありひとつの装置である、と。どういう意味かと問うた大前田に友人はそのうちわかるとだけ答えた。


 『あの方』の逃亡は隠密機動全体そしておそらくは中央にも影響をあたえた隠密機動とその最高位である刑軍の信用は地に墜ちた。
 立て直すには相当の実力がある者そして刑軍内でも四楓院夜一の片腕として存在を知られ中央四十六室にも認められる誰かが頂点に立つことが必要だったのだとこれも聞いた話だ。



「隊長」


 そう呼びかけるのも、もう慣れた。
 大前田が差し出した書類の説明を黙って聴きながら表情ひとつ動かさないこの人はすでになじんでいるのだろうかあたえられた新しいもうひとつの地位いまだ多くの部下たちには認められても受け入れられてもいない二番隊隊長という職務に。


「――っつうわけなんで、この場合こことここに署名捺印お願いします。んで、任務報告書は俺がいるときにゃあ、俺が最初に目ェ通します。そんときに記入漏れだとかんだとかが見つかったやつは書き直させますんで。なんで、隊長はあがってきたのを読んでもらえれば。俺が任務やらなんやらで席外してるときには、しょうがねえんではじめッからお願いします」
「貴様は」
 砕蜂が口を開いたずいぶんとひさしぶりに彼女の声を聞いたような気がした。
「いつも、そのような口をきくのか」
「はぁ?」
 質問の意味がわからなかった。


 遠慮がないな――と。


 ぽつりといった目はふせたままだった口もとがわずかにほころび微笑んでいるように見えたのは願望か。
「ああ……」
 いちいち遠慮しててもしょうがねえでしょ副官なんスから。そうか。


 大前田もまた口のうまいたちではないのでこんなときにかける言葉を思いつかないそれにもし浮かんだとしても実際に発言することはできないのだろう、まだだ。まだ、遠い。