泣きやまない鞠綾の手を、ぼくは前を向いたまま、すくいとった――とろうとした。
だけど、それはなかなかにむずかしくて、大体ぼくは女の子と手をつないだことも、つなごうとしたこともなかったから、二回ほど失敗して、左手はむなしく空振りした。


その間にも鞠綾はぐずる幼児みたいに泣き続けていて、ぼくのことなんて気にしていなかった様子だから気づかれはしなかっただろうけど、タイミングの悪いことに、ひときわ大きくしゃくりあげると、両手で目をこすりはじめた。
ぼくは立ち止まった。
鞠綾も、数歩先に行ってから、びっくりしたみたいに止まってこっちを振り返る。
「み、御司? ど、どしたの?」
泣くときにでる水分は、涙だけじゃない。


黙ったまま、ポケットに手を入れた。指先にふれたものの感触をたしかめると、すばやいアクションで手を引き抜いた。拳銃の早撃ちみたいに。彼女がびくっと小動物並みの反射神経で体を縮め、両腕を顔の前にかざして、防御の体勢に入る。いじめられっ子だった鞠綾のかなしい習性だ。


それを認識してから――片手でぞんざいに骨ばった細い腕をどけて、手にしたティッシュで鼻をつまんだ。
「ふ、ふえ? う? え?」
「鼻水」
「う……、うう」
「あーもう、だから! まどろっこしいな。かめよ。みっともないだろ。まず、右っ、次に左っ、両方一気にかもうとすると鼓膜がやぶれる可能性があるから片方ずつ!」


鞠綾はおとなしくそのとおりにした。
ぼくはもう一回同じ動作をさせると、ティッシュをまるめて、彼女の鼻の下をごしごしとぬぐった。ついでに目の下もふいた。


「ふく順番ね、まりあやはね、逆にしてほしかったんだけど……」


そんな文句は受け付けない。
肌が弱い鞠綾はこすったところがすぐに赤くなる。
それはしばらくはもとの肌色に戻らないし、どうせまだ泣くんだろうから、僕は新しいティッシュを何枚か抜き出して――あいにくウエットティッシュなんてものは持ち合わせていなかったから――彼女の飲みかけのりんごジュースを取り上げて、それで湿らせ、鼻の下にあてた。


「これで押さえとけ。少しでも冷やしたほうがいい」
「うわぁ……こ、これ、しみるんだけど」
「大丈夫だ。無添加百パーセントジュースだから害はない」
と、思う。
向かい合って、空いているほうの手をとった。
けれど、その手は向かって左手で、ぼくの手も左手で、つまり――そのまま自然に歩き出そうとすると今まで歩いてきた道のほうに体が向いてしまうのだ。


鞠綾はきょとん、とした顔でこちらを見ている。
急にくやしさと情けなさとはずかしさがごちゃまぜになってすごい勢いで襲ってきた。頭に血がのぼるのを感じて、つないだ手を乱暴に離した。
ああ、もう……。
どこまでいっても、かっこよく、スマートに、映画みたいに、あくまで自然体をよそおった不自然さを相手に気付かれるひまを与えずに――大人みたいに――できない。ふるまえない。


ぼくは、まだ、子どもだ。
再認識。
あまり愉快なもんじゃない。
いや――すごく、不愉快だ。


ぐっ、と前歯で下くちびるを噛むと、目の前に手が差し出された。右手。さっきまでティッシュを押さえていたほうの手。
視線をあげると、ティッシュを左手に持ち替えて鼻の下を押さえたまま、ぐしゃぐしゃのみっともない泣き顔でえへへ、と笑った。


彼女の右手は、りんごジュースの甘いにおいがした。
ぼくは鞠綾の手をちゃんとつかんだ。  
鞠綾は弱々しく力を入れ返してきた。
ぼくたちは手をつないだまま、無言で歩いた。
鞠綾は置いていかれないように、ときどき小走りになった。 
ぼくは鞠綾を置いてきぼりにしないために、ぼくのプライドが許す限り、ゆっくり歩いた。


「――……まりあやは、御司と、いっしょにいるよ」


ぽつりといったのが聞こえて、ぼくは前を向いたまま、つないだ手に力をこめる。
いつか――そう遠くないそのとき、この子がどこかに行ってしまうときがきても、こうして捕まえていれば、すこしは先送りできるだろうか。ぼくが隣にいるのを、ほんのわずかでも長引かせることができるだろうか。
わからなかった。
でも、まだ。
いまは、そのときじゃない。
 

『世界の終わり』は――まだ、終わらない。