買えないものなどないのです。転じて言えば何物も。値段をつけて売るのです。尊徳の感情はないの。
タイトルはちほPの1925から。大好き。あのイントロと歌詞が好きだ。尊徳は損得の言葉遊び。このへんのセンスがたまりません。
あと今月末に文学フリマがありますが、今回は一般で遊びにいくけど冬はサークル参加しようと思いました。きのう。ひさしぶりにオリジでエログロ百合書きたい。痛々しいのを。
と思ってたら、いつも表紙絵を描いてくださっている盟友(とおもてる。勝手に)の華舞さんから送られてきたメールとSSに前屈みになるほど禿げ萌えた…なにそれファルコン…!ああもうね、
スーツと眼鏡と葉巻の煙と陰謀うずまく、にはやっぱりときめいてしまうというなんかもうどうしよううわよせふじこ。真面目に応援もしてるよ。なんだろうこの言い訳臭さ。でも本当だよ。
以下、書きかけ藤堂×東仙。要を『理解できない』という風に理解していたのは多分藤堂だけなんだろうな。一歩引いたところにいるから東仙の剣呑さがわかる(というか本能が反応する?とかいっちゃうとちょっとえろくていいな…!)というのはTさんの名言ですがまったくをもってそう思います。
正義なんてものは飴みたいなものだ。
甘くてたまらないが夢中になってしゃぶり尽くせばいつの間にかすり減っていて、あとには溶けて何もなくなる。
舌先に残る甘さの残滓を追いかけて、確かにあったはずだほらここに、たなごころをかざしてみせても嗤われるだけだ。
真っ当なだけにたちが悪い。
間違っていないだけに後が悪い。
解釈の違いで戦争にすらなる、自ら信ずる正義のために命を捨てる輩を、準ずる正義のために邪魔者を殺すやつらを、そんな人間たちを、愚かだわからないといいながら俺たちはずっと見てきたはずだろう。
なのになぜ。
なあ、東仙。
お前のいう『正義』はいつかお前を殺すぞ。
俺はそれを見たいとは思わない、見届けたいと願うほど俺はお前が好きでも嫌いでもない、だから。
俺をこれ以上、巻きこむな。
俺もこれ以上、踏みこまない。
――最近どうも自信がなくなってきたがな。ふと自嘲がこぼれる。
盲目のお前にとって『正義』とはそれほど眩しいものだったのか。俺はいつか、お前に訊いてみたいよ。