なにかラノベぽいものを発掘した。


僕は僕のものでしかないから、たとえ僕に好意をもっているのがバレバレな下級生の女の子と親しげに屋上で話していたって、誰に文句をいわれる筋合いはないと思う。
「何話してたんだ」
「ねえねえ椎ちゃん。眼鏡っ子と一緒に眼鏡買いにいくのってさ、グラビアアイドルと水着買いにいくようなもんだと思わない?」
「思わない」
「うわー……即答かよ」
 つまんねー、そういって背伸びをする。その顔の横にある壁に椎名は片手をついた。思わず僕がよろけるほど勢いよく。
 椎名はこちらよりも頭ひとつ分、背が高い。見上げるかたちになった僕を不機嫌そうな表情で見下ろしている。
「椎ちゃんは何怒ってるの?」
 頬に手をあててオネエっぽくふざけてみたがどうにも雰囲気がやばいことを察して、僕はおとなしく目をふせる。
「怒ってねーよ」
「嘘だよ」
「……ああ、そうだな」
 椎名は身体の横にたらしていたもう一方の手をこっちの肩の上に置いた。
 びくっと反射的に身がすくむ。
 椎名は僕よりも十センチ以上、背が高い。こんなとき、身体的なコンプレックスを思い出す。そして、思い出させてくれた相手に対してひどく腹が立つ。腹の底からわいてくるような静かな怒り。特に無意識的に力を行使しようとする相手に対しては。
「……ふざけるなよ」
 そう、いったかいわなかったか。実際に言葉にしたかもしれないし、しなかったかもしれない。



「やっほー。友君、君あれだって、剣道部の椎名をぼこっちゃったって?」
「……誰から聞いたの」
「安心しなよ、本人だから、ソース。ほかの連中はびびって遠巻きにしてる。広まってないからね、噂。なんかさ、椎名はちょっと喧嘩したーなんていってたけど、そういうんじゃないでしょう、あれは。ちょっと喧嘩の傷じゃないしね。ぼこると決めてぼこった感じだよね。ところで友君、大事な大事な里瀬ちゃんが待ってるって。伝言だよ」



「友樹ちゃん先輩って両刀だってほんとですかー? って女テニ一年生一同からの質問です」
「誰から聞いたの? って答えなさい」
「やーん、みなさん知ってますよー、むしろほしいのは友樹ちゃん先輩の承認というか、おもしろ反応ですって痛いいたいギブギブギブっ」
 彼女の首にうしろから両腕をまわして、えいっと締めた反応がこれだった。大げさな子なのだ。
「ちょっと口つぐんでなさい、君は」
「……友樹ちゃん」
「なに」
 里瀬は首を精一杯まわしてこっちを見上げる。涙目だった。なんでだろう。
「……椎名先輩が機嫌わるーです。怖いです。部活のみなさん遠巻きにしちゃって近寄れません。マジで怖くて、殺気だってて、昨日なんて練習試合で三年の先輩のことこてんぱんにたたきのめしちゃってやばーです。なんとかしてください」 
「なんで僕にいうの?」
「友樹ちゃん先輩のせいですからっ……て痛い苦しいギブギブっ、死んじゃうっ」
「人聞き悪いこといわないでほしいな」
「うー、あー、もう、とぼけないでほしいです。里瀬は知ってます。椎名先輩は友樹ちゃんとケンカするとすぐに機嫌にでるわかりやすくってかわいい人です。でも友樹ちゃん先輩はちがうです。何考えてるか、里瀬もときどきわかんなくなって、ときどき全然知らない人みたいに見えます」
「……里瀬は、僕が怖い? そういうとき、きらいになるかな?」
「友樹ちゃん先輩は里瀬が絶対きらいっていわないの知ってて聞くからずるいです」
「そうだね」
 里瀬の肩口にうしろから顔をうずめる。

 茶色のやわらかいふわふわの長い髪。これが彼女の地毛で、染めてもいないしパーマもかけてない。細い肩。マシュマロの白さに似てる肌の白さ。ちっちゃい顔。お人形みたいにきれいで子犬みたいに僕になついていて、お馬鹿さんでかわいいかわいい里瀬。
 小さいころから大人たちにかわいがられ子供たちに羨ましがられて、その反面、異分子として扱われてきた里瀬。仲間はずれ。いじめ。家庭内不和。子供たちの無視。両親の無関心。なんてレディメイドな物語。なんてありきたりな半生。
「……里瀬は知ってます。友樹ちゃんはやさしい人です。やさしくって冷たい人です。誰にでもおなじくらいたくさんやさしくって、そのひとがしてほしいと思うことをしてあげられるから、だからよく誤解されていろいろあるけど、本当は、誰のことも自分の中には入れない、冷たくってひどい人です」
 里瀬は淡々といった。

 僕はほっとする。この子は知っている。知っていて僕のそばにいてくれる。 
 遠野里瀬は、僕のひとつ年下のいとこだ。母親の姉の娘にあたる。
 彼女の母親――つまり僕の叔母は、モデルから女優に転向し、今もたまに決まった監督の映画においしい役回りで出演するほかはおしゃれや外国暮らしに関するエッセイを書いていたりする人だった。才能もマスコミが持ち上げるほどではないにしろ、あると思う。繊細で、奔放で、美しい叔母。しかし母親にはとうとうなれなかった。 

里瀬は、叔母がモデル時代に産んだ父親のわからない娘だ。里瀬の容姿をみれば相手は日本人ではないのはわかるが、叔母は心当たりはあるものの特定はできない、と僕と僕の母に向かっていった。
 叔母は里瀬が六歳のときに長年いっしょに仕事をしてきた二十歳年上の映画監督と籍は入れないものの事実婚の状態になる。それは十年たった今もつづいているらしい。

 しかし里瀬はほとんど放っておかれた。学校でいじめられても周りの大人たちの口さがない噂にさらされても里瀬は一人でじっと耐えるしかなかった。叔母はときどき彼女をまるでペットのように可愛がることはできても、最後まで母親として接することはできなかった。しかたがない。そういうこともある。
 里瀬はそれを見かねた僕の母親が、彼女を引き取りたいと申し出たときにはすでに慢性的な抑鬱状態だった。自分の殻に閉じこもり、誰かの手助けがなければ食事も摂れず眠りにも就けず風呂にも入れず、基本的なことができなかったから通常の日常生活はおくれなかった。自傷癖や自殺未遂こそなかったものの会話が成り立たない。意志の疎通ができない。入院させられる一歩手前だったのだとあとで聞いた。
 僕はあのころの里瀬をよく覚えている。
 一点をぼんやりと見つめる、うつろな茶色の瞳を覚えている。 

「……友樹ちゃん、椎名先輩と仲直りしてください」
 腕の中で里瀬がぽつりといった。うしろから腕をまわしている僕に彼女の表情は見えない。
「ケンカしたわけじゃないよ。向こうが勝手に怒ってるだけだ」
 むしろ僕は被害者だよ、襲われそうになったんだよ? 
 しかも学校で。そんなのありかよ、友達だと思ってたのにさ。
 それはいわないでおいた。里瀬に少しでも昔のことを思い出させるようなことはいいたくない。
 僕は里瀬が大事だ。大切だった。傷つけたくない。僕以外のことで。

 里瀬に傷をつけていいのは僕だけだ。
 癒すことができるのも、僕だけだ。

「大好きだよ、里瀬」
 ぎゅっと抱きしめてつぶやく。彼女がくすっと笑ったのがわかった。
「……信じないです」
 ……ああ、里瀬。
 そういうことをいうから。
 僕は君が大好きなんだよ。