改行とかはサイト用にあたらめるけど、こんな感じになりました。見づらければhttp://perfectkiss.sakura.ne.jp/xxxhoney/title6/t6_07_2.htmlこちらから。はてなで小説書くときの見せ方がいまいちわかんにゃい…。大丈夫かな?ご確認ください。



 私をあなたの血肉にしてください。 

 そう、少女はいった。



 触れることで壊してしまいそうだった色褪せてしまいそうだった汚してしまいそうだった、だから怖くていつも手は一瞬だけとまった。いつも、一瞬だけ指先はふるえた。ふるえをとめるのは彼女の細い指で、やわらかな唇で、熱をもつ薄い肌だった。

「大丈夫です」

 顔をよせてささやかれ、そっと息をつく。行為のはじまりにすべての指をしっかりとからめて手を握られるたびに、前戯のひとつというよりは、まるでゆりかごに寝かされる幼子のようなやすらかな気持ちになる。

 笑顔が好きだといっておきながら、あたえるのは痛みばかりで、そのたびに腕のなかの少女は顔をゆがめて涙をにじませ声をあげる。苦痛と快楽は似ているというけれど、途中から混じり合って同じものになってしまうのかもしれないけれど、どうしてそのような残酷なことがおこるのだろう。

 行き着く果てなど最初からどこにもなかったのに、はじめてしまったから今はただ終わりがこないように、少しでも先延ばしできるように、泣きたくなるほどただ祈って願って誓って、すべてが灰になる日を待つ。



 あなたが塵に還るよりも、この命が燃え尽きるのが先ならばよいのに。
 そうすれば、熱だけは残るでしょう。
 私がいたことを憶えていてくださるでしょう。



 かなしいですね、と彼女はいった。

 木々の密やかなざわめきを通して、言葉は通り抜けていった。夏の闇は風に揺れて、とぷりと音をたてそうなほど濃い。その暗闇よりなお幽い森の木陰のなかを、ふたりで手をつないで歩いている。その柔い希代のゆびよりもなお、ぬるい夜風のなかを見上げれば、白々と雲が横たわっている。墓石か死体のように静かな散歩道。ここは希代のお気に入りなのだと聞いた。だからふたりで歩いている。いちどき、怖くはないか、と砕蜂は訊いたことがある。なぜだかは忘れた。そこで標的を仕留めたのを思い出したからかもしれない。だが、そんなことを希代が知るはずもなく、逆になぜですか、と聞き返された。砕蜂は言葉を濁し、黙した。己も、けして怖くはないのだ。ただ、気遣いというものが、己に足りないという自覚はあったから、少し尋ねてみただけだ。

 それももう、とうに昔のことだ。気遣い、いたわり、やさしい気持ち。そんなものはもう、ここにはない。あるのはただ、必死な何か。


 前をいく彼女はふりかえらずに続ける。
「本当に好きなひととするのは、少しかなしいですね」
「私に抱かれるのは嫌か?」
「嫌ではありません」
 くすりと笑ったのがわかった。
「好きです。気持ちがいいですし」
 あなたにしてさしあげるのも好き。反応がかわいいんですもの。
「そうか」
 首筋をくすぐられたような気分になった。この少女がどう己を愛するのか、指や舌の動き、ささやく言葉、感触や膚の温度まで思い出せば頬が熱くなる。
「どうかされました?」
 立ち止まり、顔だけをこちらに向けた。

 彼女の声はいつもおだやかでやわらかい。春を思わせる容貌にふさわしい高めの甘い声。行為の最中にだけ痛切な色をおびるそれが、砕蜂は好きだった。


 いつだって夢中だから何かを考えている余裕などなかった。

 かなしいなどといわれてしまうと、どうしてよいのかわからなる。


「ならば、なぜ」
 素直に訊くことができず言葉につまった自分を見つめる彼女はいとおしそうで、どこかさみしげだった。理由がわからないのが歯がゆく、自身に対して腹が立つ。
砕蜂隊長は」
 すぐ前までくるとそっと手をとった。睫毛をふせて静かに息を吐く。
「ときどき、とてもつらそうなお顔をされるから」
「そのようなことは……」
 わからなかった。

 頬はほころび、目は笑っても、頭のどこかでひびの入る音がする。欲しいのか、欲しくないのかもわからぬまま、衝動に従って指を伸ばせば、爪を立てる自覚もないのに、強く握りしめている。苦しいのは、つらいのは、貴様の方ではないのかと、いいだせぬままに砕蜂は黙る。そのつらさを思うと、ひとりでに顔がゆがんでいる。その顔を、希代はじっと見ている。

「夜も更けて参りましたね」
 微笑む吐息の音が、その言葉よりも強く、沈黙を破る。
「……ああ。昼間でも、ひとり歩きはするな」
「わかりました」
 あなたといっしょでなければ、来ません。
 胸のなかがあたたかくなる笑顔。なのに、どうして。
 己の拳をつよく握る。これ以上手を伸ばさぬように。腕の中に抱いたままでは離れられない。離れねば帰れない。暖かな場所に、返さねばならない。私の腕は冷えた血で凍っている。その指は燃えたぎるように熱いのに。
「うむ。そろそろ、戻るか」
 己に向けて説き伏せるように、砕蜂は再び言の葉を唇に載せた。
「はい」
 これ以上、夜が深くなる前に、帰ろう。



 熱はいつかひいていくのだと砕蜂は知っている。だからきっと忘れぬように幾度も重ねるのだ。この白くやわらかい膚に刺青のように刷りこんでしまえればいい。私がいたことを、私とこうしていたことを。

 いつか、別たれる日がきても、どうか忘れぬように。

「あ……」
 あおむけに寝た希代の足の間に身体を割り入れ、片膝を曲げた格好のまま持ち上げる。舌を這わせ続けたそこは十分にうるおっていて指をのみこんだ。はじめはゆっくりと、次第に早めていく。
 砕蜂のやりかたは、痛いのだという。
 以前告げられたとき、おどろき、あわてて謝ったのを覚えている。どこがどう悪いのかたずねる自分に、彼女は微笑んで首を横に振った。
(痛いのは)
 こころが。
(こころなど、どこにある)
(ちゃんとあります)
 砕蜂の薄い胸に触れる指先は熱かった。
(ここに)
 自らの白い胸に手を導く。やわらかな感触と、心臓の鼓動。
(痛みを……、感じるなら、まだ)
 血のかよった、あたたかな、それが。
 そのようなもの。捨てたはずだ。忘れたのか。なくしたのか。殺したのか。それすらもいつしか思い出せなくなった。

(大丈夫です)
 ひたりと体が吸いついた。すがるようにかき抱き、激しく動く。
(大丈夫、だいじょうぶ……だから、)
 喘ぐ合間にそれは繰り返される。睦言には似合わないその言葉の意味とはほど遠く、希代の顔は強くゆがめられ、しがみついてなお、なだめるように、そのことばを繰り返す。語るべきものをうしなった砕蜂の指先に吸いつくようにして、強く。

 言葉はもう意味をうしなった。それでもなお胸の内に何かが残る。高い声をあげて、彼女がいう。大丈夫、だいじょうぶ、だい、じょう、ぶ。泣いていた、のだろう、その声が届くと胸が痛い。
 そうか、この痛みが、こころ。
 まだ、私のこころは痛い。
 大丈夫、だから。
(だから、どうかそんなふうに)
 血を流すように私を抱かないでください。



「あ、ぁ……、ひ、あっ」
 身体の下で彼女がのけぞる。白い喉。汗で首筋にはりついた茶色の髪。苦しげな表情。熱い身体。内側が、ひくりとふるえた。
 のぼりつめていく。墜ちるために、昂っていく。このままならいいのに、ずっと今のまま、この瞬間のまま、終わりなどこなければ。
 目をつぶる、歯をくいしばる。いっそう強く、何度もたたきつける。深く強く指を差し入れる。奥まで。子宮に届くまで。彼女の身体のうちにある海、すべての生き物がうまれてはいつか還る場所、いまだ見ぬ羊水のなかにただよう赤子が自分なら。
「わ、たし、を」
 ふっ、と耳朶に落ちた言葉を、胎教のように聴く。
「私を、あなたの血肉にしてください」
 動かしていた腕がとまった。
 ゆるゆると顔を上げる。希代と目が合う。うるんだ目に返す火影が、小さく揺れている。そこにあるはずの希代の真意が見えない。透けて通って、彼女自身が見えなくなってしまいそうに、澄んだ瞳。


「すべてとはいいません、一部で構わないの。いちどきに食べきれないとおっしゃるのなら、少しずつ、少しだけでもよいのです」
私を、食べてください。
「終わってしまうことが耐えられないの」
 いつかは飽いて、いつかは離れていって、いつか昔はそのようなこともあったねと笑い合うようになる、そんなのは嫌なのです。
「とどめておきたいんです」
 今が、今であるうちに。
 あなたが私を必要としてくださるうちに。
「さめてしまう前に」
 醒めて、か、褪めて、か、冷めて、か。
「私は」
 力なく指を抜いた。やわらかな髪に顔をうずめる。きつく抱いた。ただ、抱きしめた。これが何かの証になると信じているふりをして。
「私は、希代だけは、殺さない」
 殺せない。
 守りたいのに。大切にしたいのに。
 どうしてそんな終わりしか想定できない?
 流れていく時間はとめられない。とどめてなどおけない。自分の気持ちさえ。胸が痛むほどいとおしい相手のことも。身体の内側、皮膚の下を焦がしていく気持ちも。つないだ手のぬくもりも。重ねた身体の熱も。宝物みたいに、泣きたくなるほど大切な今も。いつか、冷えて、消えて、忘れて。
 変わらないっていった、変わりたくなんてないって君はいった。
『ずっとこのままでいたい』
 そうささやいて抱き合う、なんてすてきでかなしい夢物語なのだろう。わかっているから少女は泣くのだ。自分は涙を舐めとってやることしかできない。
 いつからか、気づいていた。知りたくなかったのに、知っていた。



 永遠なんて、永遠に、手に入らない。



「……か、って……わかっているの、わかって……」
 幼い子どものようにしゃくりあげる彼女が、どうしようもなくいとおしかった。抱きしめてこのやわらかな身体を押し潰してほっそりとしたおとがいを握って壊してしまいたいほど、いとおしかった。
「でもこのままじゃ……どこにも行けなく、って……いつ、か……終わって……離れ、て、いって……それ、でも……きっ、と、私は笑っ、て……」
 嫌なのに、そんなの嫌なのに。
「ど、うして……?」
 そういうものなのだなんていえなかった。それでもいいなんて、いえなかった。

 唇を探して重ねた。何度も食み、舌を絡めて強く吸いあげる。彼女がうめくのを無視してふっくらとした下唇に歯をたてる。ぷつりと音をたてて食い破ってしまいたかった。 あたたかな血が出ればいいのに。そうすれば吸ってやれる。彼女が生きている証としてなら、いくらでも。

 うしなうことを一度経験しているから、もういわない。いえない。約束など、求められない。そのようなものは忘れたはずだ。ずっとそうしてきた、『あの方』が消えてからの百年間。
「すまぬ」
「なん、で、謝るのですか」
「私は……」
 私は、この少女に、たったいっときの『ずっと』さえあげられない。
 いつなんとき命をおとすか知れぬ立場なのは彼女も知っている。それでも、せめて言葉だけでも。
「……すまぬ」
 絞り出すようにもう一度いった。嘘はつけなかった。砕蜂の偽りを、この娘は簡単に見破る。見破ってなお、気づかぬふりをしてくれる。そしてやさしくてかなしい微笑みは降り積もり、彼女を追いつめるのだ。 
砕蜂隊長」
 その名で呼ばれるとはっとする。自分の身分を思い出す。希代が腕をついて、身を起こした。ひたりと張りついていた体と体が離れる。汗ばんでいた肌が冷えていく。
「逃げましょうか」
 どこへ? どこかへ。



 答えは、見えなくても、それでよかった。

 空気は澄み渡り、風は冷たく清浄に吹き渡り、夜明けの空は真珠色に輝いて日の出を待つ二人を照らす。のぼりはじめの太陽も、まだ醒めやらぬ森の木々も、駆けてゆくものたちを妨げない。大きく肩で息をする彼女を、砕蜂は数歩離れたところでゆるく笑んで見守り、彼女は彼女で息ひとつ乱さぬ砕蜂を悪戯のように笑んでにらみつける。悪ふざけの延長戦。まるで冗談のように、本気で。

 走って走って走って、どこへもいけないのに。

 笑って笑って笑って、お願い。泣いてもいいからつらくていいから苦しくてもいいから、本当は。私も笑いたい、君みたいに。笑っていたい。すべての苦いものを飲みこんでなお、笑っていたかった。そんな強さが欲しかった。そんな強さがあったら、もっと、この子を。『あの方』を。

 強くなければどこにも行けないのだと知ったあの日のことを思い出す。強くなろうと心を決めたあの日を思い出す。そして、どこまでも弱い自分をたたきつけられた日を思い出す。弱いのは、自分も、彼女も。そう思って、ゆるく笑んで、どこへも行けない自分たちを見る。

 と。

 ふるえる膝に手を置いて、小さく咳きこみながら、希代がいった。


「どこへでも行けるって気がしません?」

 声もなかった。笑みは消えた。目を見開いて、小さな彼女を見た。燦然とした彼女は、生ぬるく諦めている自分とは圧倒的に違うことを知る。そして、思う。

 もしかしたらこの子とならどこかへいけるかもしれない、と。

「大好きです、砕蜂隊長」
 ふりむいた彼女は笑っていた。涙を流しながら、やさしく微笑んでいた。
「それしかないの」
 ごめんなさい。
「それだけが、私を」
 そしてあなたを。
 生き長らえさせてくれる。
「たった、ひとつの」
 息をさせてくれるもの。

 強いという言葉の意味を知る。言葉が意味を持つ。弱さも強さも、飲みこんで、彼女は立つ。弱々しく折れそうな細い脚で、それでも確りと揺らがずに。同じ性でありながら、同じ弱い身でありながら、それをも飲みこんでなお、彼女は立つ。支えを他に求めながらも、立つ足は己のものと知れる。その弱さが、強さとなる。

「……貴様が、好きだ」
 ああ、本当にそれしかないのだ。莫迦みたいだと苦笑した。
「逃げるときは、一緒だ」
「当たり前でしょう?」
 約束など求められないはずだったのに。願うことや祈ることや誓うことはできても誓い合うことはできぬはずだったのに。
 ためらったあと、やっといった。
「約束して欲しい」
「誓います」
 差し出した手を握り、引いた。腕のなかに倒れこんだ彼女は、砕蜂をしっかりと抱きしめる。
「大好きです」
 私たちはなぜこんなにも愚かなんだろう。
 なのに、どうして、泣きたくなるほど、いとおしい。