マニキュアを塗るのは自分のための儀式だけれど、そのマニキュアをはがすのは彼女の特権だと理沙は知っている。前の晩、時間をかけて塗ったネイルを彼女は一本一本丁重に舐めていく。会うたびにそうするから彼女と会ったあとの理沙の爪先はところどころネイルが剥がれたみっともないことになる。



女の価値は末端にあらわれる、と敬愛する美容ライターがいっていたことを理沙は常に肝に銘じている。たとえば、ささくれだった靴の先やすりへったヒール、白く粉をふいて固くなった踵、パサつく髪の毛先、そしてネイルの剥げかけを放っておく指。我慢がならないと思う。電車のなかなどでそのような女性を目にすれば、もったいないと思う。
 それから自分はああならないようにしようと自戒し、帰宅してからのお手入れをいつもより時間をかけて丁寧にするのだ。



なのに、彼女はそれらをまったくかえりみない。すごいねーだとかえらいねーとは口にするものの、同じ口で理沙の努力の跡を舐めとってしまうのだ。
 困るのは、されるのが嫌ではないこと。そしてそんな彼女がかわいい、と思ってしまうことだろう。
 
 

身体に毒だと何度注意しても、理沙さんの一部が毒なわけないでしょ、ていうか毒でもいいよ。毒くらわば皿まで? ちょっと違うか、それは。屈託なく笑うから気が抜ける。




許せてしまうことは他にもある。
部屋に遊びにきた彼女に食器を洗って、といえばお気に入りの白いグラタン皿とワイングラスをたてつづけに割られたこと(これはこのときで懲りたので二度と頼まなかった)、ひとりで入浴させればバスルームをめちゃくちゃにされること(シャンプーとコンディショナーは定位置以外にバラバラに置かれ、ボディソープは床に転がり、タオルは投げだしっぱなし、壁に泡がついたまま、入ったあとの浴槽のお湯を抜かない、変な黄色いアヒルのおもちゃを知らないうちに持ちこまれた等々)。



彼女が上手にできるのは自分をかわいがることだけではないか。理沙はため息をつく。
「理沙さんの化粧した顔、好き」
 自身はまったくメイクをしない彼女はときどきいう。
「普通、すっぴんの方が好きだっていうもんじゃないの?」
「そうなの?」
少なくともいままでの男たちはそうだった。知った顔で、理沙が細心の注意をはらい練習に練習を重ねてつくりあげた『ナチュラルメイク』に対してやっぱり女の子は素顔がいいね薄化粧がいいねなどといったものだ。そのたびに理沙は内心ガッツポーズを決めながらもどこかで相手を莫迦にして鼻をならしていた。



「なんか必死にがんばってる感じがするから」
だから好き。もう一度いった。
「怒った?」
「怒ってない」
 そのとおりだ。



口内はあそこと同じ感触がするんだよ、といったのは彼女だ。理沙さんの口のなかも、理沙さんのあそこと同じだよ。やわらかいし、あったかい。だから指いれると、どきどきする。下の口にもいれたくなる。



「バカじゃないの」



どぎまぎしながら、呆れたふうをよそおった。成功したかどうかはわからない。この子は動物並みにするどいから些細なことでも見抜かれているのではないかと不安になる。



理沙は三歳年下の彼女にいつもかわいがられるばかりで、してあげたことはほとんどない。



いつだったか、さすがに申し訳ないのではないか、彼女に口説かれるまでヘテロだった自分はよくは知らないがビアンの世界ではネコとタチは確定のカップルもあるけれど流動的な場合も多いと何かで読んだ、ならば自分を彼女を愛撫するべきではないのか、と訊いた。



「いつも私ばっかり気持ちよくなってるし。なんだか悪い気がする」 
「ぜーんぜん? なんでそんなこと気にするの」
やわらかく笑って理沙の髪をなでた。
「悪いとか、申し訳ないとか、するべき、とかそういうのは思わなくていいよ。おたがいが気持ちいいこと気持ちいいようにすればいいじゃん」
単純でしょ?




美香子って名前はあんまり好きじゃないからなんか別の名前でよんで欲しいな、と最初に寝たあとに彼女はいった。
「苗字なんていうの?」
「ときた」
どういう字、と訊けば、寝転がったまま手をとって掌に常、田、と書いてみせた。乳房が案外大きいな、最中にも思ったけれど。肩幅は華奢だし、腰は細いし、やわらかいし、女の子の身体だ。あらためて確認した。
「じゃあ、常田でいい? 性別不明でいいんじゃない?」
「なんかやだなー、他人行儀で」
学校の友達はみんなそうよぶし。理沙さんには特別な名前でよばれたい。
「だから考えて」
わがままいうな十代のガキが、と思ったが言葉にはしなかった。若さをひがんでいると感じられたら癪だ。
「……ミケ」
「なにそれ」
「みかこ、だからミケ」
あと猫に似てるから。
 


このあとケンカしたりなんかいろいろするですよ。おにゃのこの指はよい。とてもよい。そして指フェラえろい。



猫は薄情な生き物だから他に食事と寝床を与えてなでてくれる相手が見つかればこちらのことなど顧みないだろう。あっという間に忘れて、新しい居場所でぬくぬくと過ごすだろう。
あの子はかわいらしい顔をしているから、きっとすぐに次の相手が見つかる。性格だっていいし、ちょっとどころじゃなく雑なところはあるにせよ、まあ多少わがままだけどそこがかわいかったし、甘え上手だったし、舐めるのも上手だったし、気まぐれで頭をなでられるのが好きですぐに身体をこすりつけてきてあげるまでうるさくご飯をねだって、やっぱり猫に似ていた。



こんな感じで。で、ミケたんは家のまえで待ちぼうけしてればいいと思う。にゃんこはかわいいね。